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日本の製糸業を育成した明治の偉人 速水堅曹

2014年07月08日 · コメント(0) · その他, 出版物, 新刊

富岡製糸場と絹産業遺産群は2014年6月に第38回世界遺産委員会ドーハ)において、世界遺産へ正式に登録されました。関係者の長年のご努力に感謝致します。

このような近代日本産業の産声を上げる原動力と成りました富岡製糸場ですが、その創設に直接関わっておりました方々が脚光を浴びることは致し方無いことかも知れません。しかし、日本の製糸業を世界的なものにし、民営化を働きかけた速水堅曹は忘れては成らない人だと思います。此処に速水堅曹没後百年記念出版 「速水堅曹資料集」-富岡製糸所長とその前後記 -Hayami Kenso (1839-1913): His Life and Memoiresの編者であります速水美智子様より一文を頂きました。

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日本の製糸業を育成した明治の偉人 速水堅曹  

    1839年(天保10)、速水堅曹は川越藩の下級武士に生まれる。幕末維新期という大きな時代のうねりのなか、生糸改良の志を実行した。製糸業の近代化を果たすために先陣を切っていった。

    29歳で維新をむかえた堅曹は、藩命により横浜に生糸売込問屋を開設する。1870年(明治3)製糸教師のミューラーから器械製糸技術を徹底して学び、日本ではじめての器械製糸所「藩営前橋製糸所」をつくった。新政府の富岡製糸場に先んずること2年前である。日本で最先端の製糸技術者となった堅曹のもとに、全国から先見の明のある者たちが見学と伝習におとずれた。

    たしかな技術と知識、器械製糸業発展の国家ビジョンをもつ堅曹は、1875年(明治8)、乞われて内務省にはいり、まず富岡製糸場の経営診断をおこなう。お雇い外国人の解雇、工女の雇い方の見直し、民営化を提言した。翌年には米国フィラデルフィア万国博覧会に審査官として派遣される。

    富岡製糸場が開業して7年、フランスから「トミオカシルク」の品質が落ちたと知らせが届く。堅曹は改善を期待されて所長に就任、製糸場の改革に取り組み、ほどなくして評判を取り戻す。

    その後、生糸の直輸出商社「同伸会社」の頭取に就任するため所長を辞すが、引きつづき富岡製糸場の監督指導につく。1885年(明治18)ふたたび所長になり、1893年(明治26)三井家に払い下げられるまで、14年の長きにわたって、陣頭指揮しての経営にたずさわった。

    その間、堅曹は「製糸の業は精神の業」という信念にもとづき、工女たちの生活と学習環境を整えることを第一に、高品質の生糸製造を果たし、生産量の増大と経営の黒字化を実現した。官営時代後期は黄金期を迎えた。

    払い下げ問題は紆余曲折した。民営論者である堅曹は、富岡製糸場を日本の亀鑑工場として次代に残すことが最善と考え、政府からだされた廃場論を一蹴した。「永続を主眼」にした払い下げにこだわり、富岡製糸場を守り抜いたといっても過言ではない。

    堅曹は、生涯を通じて多くの器械製糸家を支援し育て、最晩年まで生糸の直輸出の拡大に心を砕いた。日本が世界一の生糸輸出国となったのを見届けるようにして、1913年(大正2)1月、堅曹は横浜の地で亡くなる。享年74。     (速水美智子)

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尚、編者は堅曹氏の玄孫の奥様に当たります。

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