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布哇(ハワイ)貴重資料解説(18) 『布哇群嶋誌 第壱巻-加哇篇』

2012年11月22日 · コメント(0) · 古書, 新刊

英文書名:The Hawaii Islands. Vol.1: the Kauai Island

[福永楓舟・三輪治家 共著]

このシリーズは当初4巻で完結することを志したが、その後の継続出版事業は不詳である。奥付けに出版年月日が記されていないのは遺憾である。察するに本書出版時点は 1916年末もしくは翌年前半と見られ、その時点で「太平洋の楽園」(The Paradise of the Pacific) に関する日本語文献の雄と云える地誌である。和文でも英文でも手ごろな案内書が無かった時代の、内容的に重いカワイ嶋地誌案内書とみれば良い。

本書出版に当っては、次のような英文名著を参考にしている。

歴史関係:Alexander, W. D. 1891. A brief history of the Hawaiian people. New York: American Book Co. and Documents from Kauai Historian Society

動植物関係:Bryan, William Alanson. 1915. Natural history of Hawaii, being an account of the Hawaiian people, the geology and geography of the islands, and the native and introduced plants and animals of the group. Honolulu, Hawaii: [Printed for the author by] the Hawaiian gazette Co.

<上記はいずれも書誌的に奥泉が再調査・再確認したもの>

グラビア写真(カラー写真含む)・共著者の序・例言・目次欄と続く。内容は、地理・歴史・教育及宗教・産業・交通及其他と進み、適所で各地日本人の消息を論じている。第6篇は「加哇人物略伝」となっており、その前半は白人名士列伝、後半は日本人名士50人程を列挙している。本書によれば、1912年当時で加哇嶋には日本語学校が20校、生徒数1368名であった。リフェ小学校(官立系)が嶋内最古の歴史をもち、校長は本書共著者の一人三輪冶家(福島県出身)であった。同夫人も教鞭をとっていたことが判明する。最大手はリフェ平和学園(宮崎匪石園長。・本派本願寺派)で、児童数は約200名であった。記録に依れば、1912年1月に布哇中学校長角田柳作が学事視察のため来校している。角田は同嶋に一週間ほど滞在して教育講演シリーズをこなし、父兄や有志や青年たちを大いに啓発した。志賀重昴や帝国総領事永瀧久吉の巡嶋も続き、希望を与えた事や教育行政改善の面で大いに役立った。

本書発行時の嶋の定期刊行物は二つ。一つは英文の The Garden Island で、もう一つが日本文の『加哇新報』(旧『加哇週報』)であった。共に週刊で株式組織であったが、元来両紙は同一出版社のものであった。和文欄で功績のあった芝染太郎は1906年ころ離島してホノルルに転進した。そこで芝を継ぐ形で本書の共著者の一人福永虎次郎(号は楓舟・山口県出身)が『加哇新報』を継承したという次第である。同社のみならず、各社は1000人の新聞購読者を得るのに四苦八苦していた時代のことで、副業も兼ねて図書出版も手がけていた。本書もその良い例である。なお、巻末には時代を伝える多数の広告あり。

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【文生書院:復刻版『初期在北米日本人の記録』に収録されています】

ISBN978-4-89253-341-9

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