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45年目の秋

2012年11月12日 · コメント(0) · 未分類

45年目の秋

会社に入社したのが昭和42(1967)年、卒業と同時でした。其の直後、父の買入れに同行して京都へ行った事が最初の仕事でした。実際には親心か京都を隈なく歩かせれくれる幸運を与えてくれました。5年後に出版の株式会社を興し、2年後親父の会社を吸収合併して現在に至っています。あれから45年公私にわたって色々な事がございました。どちらかと云うと忘れたい事の方が鮮明に頭に残り、楽しかった事はぼんやりとしか思い出せない事が多いような気がします。

今年8月に組合の役員の任期を終える事になり、其の数ヶ月前から、今まで何回と無く行った海外旅行はその殆どが商用で、偶然行き逢った名所旧跡は色々と見ていると思っていますが、日中は仕事で忙殺される事が殆どで、自分で行きたいと思って行った所はそれほど多くない事を常々残念に思っていました。そこで今回は、自分の行きたい所を自分の計画で実行したいと思うようになりました。そこで、仕事で訪れた事が無い国で、行ってみたい所を考えますと、ポルトガルとイタリアだという結論に達し、結局イタリアを選びました。其れも可能な限り自分の足で歩く事が可能なところを選ぶようにして、フィレンツェとヴェネチアとしました。叉、可能な限り飛行機を使わず、ユーロレイルという鉄道の旅を選びました。

この歳で、後何年仕事を続けられるか判りませんが、三つ子の魂百までで、古本屋として役に立つ所を選ぶように努めて、旅の目的をルネサンスからハプスブルグ家へと勝手に決めました。特に、ハプスブルグ家の中で、エリザベート女王の痕跡が、ヴェネチア・サンマルコ広場にある博物館から始まり、いたる所に彼女の史蹟や憧憬の思い出として残っているのには驚かされました。其れだけ彼女の帝国は影響力があった事を思い知らされました。

イタリアの次に選んだ所は、ヘッセンでも、バイエルンでも、プロイセンでも無く、訪れた事の無いザクセン州のドレスデン、エルベ川のフィレンツェと呼ばれる美しい町、大空襲で廃墟と化した町並みを長年にわたり復興させてきた様子を東京との対比の中で見たいと思いました。確かに、戦災の爪跡は極一部の建物の壁にしか散見されず、ドイツの美しい町並みと思われましたが、フラウエン教会前広場に隣接する文化館は、共産党政権が残した異物として周辺とは隔絶した感覚を放っていました。やはり、此処のツヴィンガー宮殿にあるアルテ・マイススター美術館は予想外でした。イタリアで見慣れたルネサンスの作品群に溢れ、其の上、レンブラント、フェルメール等々余りの多さに驚きを禁じ得ませんでした。更に、ザクセン選帝侯の「強健王」フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王を兼任し、ポーランド王としてはアウグスト2世)の中国や伊万里焼きのコレクションは圧巻で、彼の投資によって誕生を見たマイセン磁器の誕生秘話も面白く、実際マイセンのアルブレヒト城を訪問し、磁器工場も見学する羽目になりました。

Madonna   ラファエロの「システィーナの聖母」.コレクションの最後に大金を払って買われたと言う名画

ドレスデン中央駅では、一部分エスカレーターが完備しておらず、階段で老人二人が思いトランクを運んでいるのを見かねたのか、若者が親切にも自然な形で手伝ってくれて、お礼を聞くのも早々に止まっている列車に乗込んで行きました。若者の自然な親切さに感激いたしました。それにしても、今回の鉄道の旅は、日本の列車に慣れた私達には、基本的部分を除いて、多くの点で不便さを感じました。しかし、一方で、余りに便利な日本は、それだけ多くの人件費を払っているのかと言う想像から「コスト(サービス)と価格の関係」、更に、其の便利さに慣らされた人々によって便利さの無料提供を強いられている事を実感せざるを得ませんでした。日本は総ての点で余りにも便利過ぎないでしょうか?つまり、便利さは、若しかすると浪費の一種とも考えるべきなのではないでしょうか?

ドレスデンより旅を続けて、プラハ経由ウィーンとブダペスト、更に、おまけとして、13世紀トルコ軍の侵攻を一度は食い止めた事でハンガリー魂を体現していると云われる、温泉と赤ワインの地、エゲルでした。しかし、マジャール人は東洋の血を受けていると言うのは学術的に否定されているようですが、知合ったハンガリー人は、第二次世界大戦は、日本が負けただけでなく、ハンガリーも敗戦国だった事実と、その後ハンガリーはロシアに占領され、日本は事実上アメリカに占領された違いを聞かされました。其れにもまして、彼等の独立心を強く感じハンガリー動乱の必然性を理解いたしました。叉意外にも日本に対する淡い好意も感じることが出来ましたが、其れは極一部の人達なのかも知れません。

最後に泊まったのがウィーンでした。今回は3度目の訪問です。最初にこの町を訪れた26歳の時は、本当にヨーロッパに到着したと言う実感と、ウィーナーシュニッツェルの美味しかった事を思い出しましたが、今回は其れも食べたいと思う年齢を既に過ぎている自分を実感いたしました。最初の時に、町を歩いていて偶然、オーストリア人作家のグリルパルツァー生誕の家を見つけて感激しましたが、今回は、マックス・ブロートの住んでいた所にあるホテルに泊まることが出来ました。市の中心にあるステファン教会に近く、便利だと思って予約してもらいましたが、4星とは名ばかりで、其の貧そなたたずまいに文句が出た処でしたが、チェック・アウトのためにロビーで待っていると、其のロビーに色々な写真と手紙が額に入れられて飾って在る事に気付きました。よく見るとブロートの写真と手紙類が相当飾ってありました。フランツ・カフカの幼馴染で、カフカの評論を書いた小説家・評論家として知っておりましたので、時間の許す限り見ようとしましたが、文字が小さく、近づく事もできず、そのうちに出発の時間がきてしまいました。

45年目とは言え、今回の旅を可能にしてくれたのは直接的には会社の皆様と間接的にはこの拙文をお読みいただいている皆様だと思います。感謝申し上げましてお礼申し上げます。

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