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布哇(ハワイ)貴重資料解説(11) 『オハイの蔭』

2012年07月24日 · コメント(0) · 出版物, 古書

英文書名:On the Shady Side of Ohai (Monkeypod) Trees

[浅野孝之/著 實業之布哇社/発行]

筆者の浅野は、大正6(1917)年7月に渡布し、在ハワイ7年有半の間に少なからず散文を書き留めた。本書はそうした文章から23篇(基本的には執筆年月日を付す)を選んで編んだものである。本書発行の時点で浅野はすでに帰朝していたが、印刷所および発行所はホノルルであった。浅野は何故に帰国したのであろうか。

その鍵となる「日本教育界の巨人を憶ふ」(269頁)は、著者の恩人であり知己であった中村春二への鎮魂記である。中村春二は若くして大正 13(1924)年2月21日逝去。その悲しい報に接し、浅野の帰国は決定的なものとなったようである。結果的に浅野は中村の教育精神を引き継ぎ成蹊高等学校々長となった。その頃、池袋と云えば成蹊をすぐ連想するほど有名になっていた成蹊学園は、岩崎小弥太や今村繁三の助力を得つつ成蹊を強力に立ち上げた。

「平仮名ひろめの主導者」で知られる中村春二は静岡県の名門に生まれ、明治36(1903)年東京帝国大学文科の国文科を卒業している。大学卒業後暫く東京高等師範付属中学で教鞭をとった後、学校当局の無理解を憤慨しここを去って厳父の遺された全財産を投じて成蹊学園(小学・中学・女学校・実業専門学校)を創立した。これが成蹊に絡む中村と浅野の強い絆の一端であったのだ。

情熱的な名物校長が二代続いたことで、日本でもハワイでも「成蹊」は語り草となったものである。なお、今回の復刻に当り、表紙をカラー印刷で原装再現した。その上部にハワイの特産オハイの大木二本が描かれている。私が想うに、この二本は「日本=ニホン」を表象しているのかも知れない。話は飛ぶけれども、チューリッヒ大学に聳える二本の杉も、日本からの移植に成功した証しらしい節がある。巻頭に堂々の著者肖像写真あり。

〔文生書院ホームページに目次を公開中(PDF)〕

http://www.bunsei.co.jp/pdf/i2_h10.pdf

hawaii11

 

【文生書院:復刻版『初期在北米日本人の記録』に収録されています】

ISBN978-4-89253-337-2

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