本郷村だより

文生書院のブログ

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黄泉から届いた目録

2012年06月21日 · コメント(1) · その他

東京古書組合主催の市会で、出品の為に品物を仕分けしている際に品物の中から突然弊社の目録、それも昭和10年9月配布の目録が出て来ました。それも先代が便箋に手書した2枚の案内書も含まれており、1997年97歳で他界した先代から突然届いた目録であると思えて暫し感慨にふけってしまいました。これをお譲り頂いた同業の方々に心よりお礼を申し上げます。

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弊社は、大掛かりに出版も手掛けていた古書店“巌松堂書店”の通信販売部の責任者をしていた先代が、昭和5年に上野仲御徒町で、文生書院 良書通信社と言う名称で興した古書店であると聞いておりました。しかしそれは小生が生まれる14年も前の事であり、創業時の苦労は母つてに聞いておりましたが、実際の商売については何も知りませんでした。此処に初めて通信販売の真髄と思われる目録を目にして、初めて知る当時の営業方法を知りました。

先ず、最初に目を引きました言葉は;

“貴下及び御保証の各位は前金不要現品直送 着本後二ヶ月以内に御送金願います。”でした。特に“着本後二ヶ月以内の送金”とは随分余裕のある商売をしていたことが伺えます。創業後5年しか経っていない時期ですので、多分それが図書の通信販売では一般的な商習慣であったかと思い、世界恐慌から5-6年しか経ってない社会全体でも、それだけの余裕があったのかと驚いております。

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2番目に目に付きました言葉は;

“全部新本在庫部数 三十及至五十部”です。つまり当時の弊社は特価本を中心にした古書通信販売が主流であった事が伺えるようです。

芭蕉翁遺芳 勝峰晋風編 / 春陽堂、 1冊、 昭5 幸田露伴題字、木村荘八装幀、和綴帙入、絹美装 定価30円、特価10円

目録自体は、B5版、孔版の片面刷り7頁(一部2色刷り)からなっており、それを1/4にたたんで丁度封筒に入る大きさで発送されたようです。前述した如く便箋に先代が手書した案内書の2枚がその中に折り込んでありました。癖のある字を見るにつけ、手書きの重要さをしみじみと感じました。小生の高校時代より文生書院で働き始めた時でも、先代は『買入広告の往復はがき』を手書で出すことを主張して、よく書かされました。お客様への手書の丁寧さを終生変らずに持ち続けていた事を思いますに、この手書の案内書はそれなりに効果のあったものと推測できるように思います。コンピュータによる印字が極普通になった今でも忘れてはならない事かも知れません。

叉、先代が働いた「巌松堂書店」は一昨年閉店した神保町の古書店とは関係なく、波多野重太郎氏によって1901年に創設された古書店及出版社です。此処で働いていた方々が独立し、「十日会」と言う親睦団体を作り、互いに持ち寄りで月一回の会合を開いておりました。そのメンバーで現在古書店を営まれている方々を年齢順に列挙しますと、先代、雄松堂書店、巌南堂書店、西村文生堂書店、藤井書店、泰雲堂書店、博文堂書店、伸松堂書店、杉原書店、波多野巌松堂書店等々であります。勿論現代の御当主達は、それぞれ2代目か3代目の方々です。尚「十日会」は先代達のご他界及ご引退後で散会されております。

最後に、目録中に書かれております「郵便振替番号:東京12686番」は現在でも弊社が使っております番号で、変らないものに出会ったことに驚きを隠せませんでした。

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コメント(1)

  • 岡本秀徳

    素晴らしい出会いの感激を綴られた文章にに心を打たれました。
    年齢の所為か、最近は「偶然の必然」を感ずることが多いのですが、これも先代が創業時の初心をお伝えになったものではないでしょうか。
    メッセージが届いて安堵されていることでしょう。
    先代の送られた手書きの案内は、大恐慌から大戦に向かう波乱の時代に生きた人達の心を癒したに違いありません。
    当時と比較すると、高学歴化にも拘らず活字離れの軽薄な世相になってしまったように思います。
    しかし、そういう時代だからこそ、内容・装丁共に
    素晴らしい「古書」の魅力を、そこに携わった人々の想いの深さと共にを伝えていくことが一層重要になっているのではないでしょうか。

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