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方寸

2010年12月07日 · コメント(0) · 古書

 

明治40~44年刊
合本2冊(1巻2号~2巻8号/3巻1号~4巻8号)・全35冊(内31冊)
菊倍判八頁・発行部数100部・月刊・定価12銭(当時)
経年による多少のシミ・ヤケあり

明治40年(1907)山本鼎は石井柏亭、森田恒友と雑誌『方寸』を創刊 しました。

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                                      山本 鼎
1882年~1946年(明治15年~昭和21年)愛知県岡崎市出身で、 長野県上田市に移住し、美術の大衆化、民衆芸術運動のなかに身を投じた版画家、洋画家、教育者です。画家で詩人の村山槐多は従弟になります。
自由画教育運動と農民美術運動に重きを置いた人物です。
1916年(大正5年)にフランスからの留学の帰途、ロシアで見た児童画と農民工芸に注目、さらにトルストイが始めた農民学校の話に感激して、日本においても実行しようと始めたました。
旧来の手本を模写させるだけの美術教育を批判、 子供に自由に描かせる必要性を説いた自由画運動と、農閑期に工芸品を作り、副収入を得ると同時に、美術的な仕事を通して、農民の文化と思想を高めようとする農民美術の運動によって、山本鼎は大正デモクラシーの先駆者の一人として位置づけられています。

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方寸での山本鼎の作品の一部

鼎は同誌に木版、石版、ジンク版などによる作品60点のほか、俳句、詩、評論、随筆などを発表しています。

この雑誌は美術文芸誌の性格を有し、若い美術家や作家たちの創作拠点とすることを目的としていました。それまでの版画は、「下絵を描く」「彫る」「刷る」作業が分業制でしたが。彼らは「方寸」で、その作業を全てひとりで行う「創作版画」を提唱し、その後の版画に大きな影響を与えています。

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しかし、「編輯から印刷-配本-売捌等一切を自力でやるのは並大抵のことではなかった」と後に石井柏亭が『柏亭自伝』で回想しており、雑誌の発行は困難を極めたそうです。ですが、明治44年の終刊までに35冊を発行し、美術・文芸の分野に独特の地歩を築きあげました。

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