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報道写真(戦場写真)の変遷 ①

2010年11月26日 · コメント(0) · 洋古書

写真の無い時代の戦場報道:

昔より有名な合戦、例えば長篠の戦、中之島の戦、関ヶ原の戦等々には合戦図または合戦屏風として絵画が残っており、戦史研究には欠かせない美術品が多数継承されてきました。しかしまだ報道という立場からは程遠いものでありました。 300年続いた徳川幕府下の平安を過ぎて、幕末の戊辰戦争においてもなお戦場錦絵は余り多くは見られませんでした。この状況が一変したのが明治10年だと思います。維新の大立者である薩摩の西郷隆盛が起こした我が国最大の内乱、西南戦争で様相が一変しました。

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錦絵の版元が速報と称して西南戦争錦絵を発行し、ニュースに飢えていた民衆が競って買い求め、あっという間に売り切れるというブームが起こった事です。 版元は千載一遇のチャンス到来と思い、有名、無名を問わず浮世絵師たちに発注し、絵師たちは売らんがために真偽とりまぜ、扇情的なタッチで粗製乱造に描きまくったそうです。その数は正確には把握できませんが、千種類くらい出たのではないかといわれています。西郷は庶民に人気があり、また日本人固有の判官びいきもあって絵師たちは西郷軍を美化して描いたようです。 絵そのものは際物であるので芸術的価値は乏しく、内容も文字通りの絵空事のものが多かったのですが、当時の庶民の要望に応えて描いたもので、その頃の庶民の西南戦争の受け止め方、あるいは風俗などを知る意味では貴重なものであると思います。 その中にあって、「鹿児島県 有りのそのまま」等の新聞スタイルのものが含まれており、戦場報道のはしりにだと思われます。

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一方、明治初年に欧米より「新聞」というメディアが紹介され、旧来の錦絵が衰退していた状況の中におかれた絵師たちは、新しいメディアとして新聞のなかに活路を求め、遂には『新聞錦絵』という明治初期のヴィジュアル・メディアへと発展させる原動力となったようです。詳しくは2000年弊社が出版致しました『日本錦絵新聞集成 CD-ROM版』をご高覧下さい。その中に上記の「鹿児島県 有りのそのまま」等が含まれております。上記がそのCD-ROM版です。

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時代が下り、日清・北清・日露戦争につきましてもまだ錦絵や戦場絵師の作品がございます。特に日清事変はその傾向が強く出ていたと思います。詳しくは弊社のホームページの在庫品をご高覧下さい。

しかし北清事変以降はその様相が一変し、特に日露戦争では完全に写真が報道手段としての主役に踊り出てきました。世界中から写真家や従軍記者が戦場を訪れ、戦況を逐一知らせる役目を果たしました。その結果、高橋是清がどんなに努力しても、日本が陸軍大国ロシアに勝てる訳が無いと思われていて、『日本戦時国債』が売れない状況が続いていたのですが、黒木第一軍司令官による鴨緑江渡河と九連城占領と言う写真報道によってロンドンで売れ始め、漸く戦費を賄う事が出来たのは有名な事実でした。勿論、そのきっかけを作った米国の銀行家ジェイコブ・ヘンリー・シフJacob Henry Schiff)の逸話も忘れてはならないと思います。このように考えますと、若しこのような写真報道が無く、絵師による報道しかない日露戦争を考えてみますと、歴史が変わっていたかも知れないという重みを感じます。それ故、ここでは写真報道に従事した彼等の活躍する写真を二回に分けてご案内したいと思います。

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1904年4月3日第11長門丸にて神戸より戦場へ向かう従軍記者の一団: New York Herald, Central News, Daily Telegraph, Morning Post, Standard, Daily Chronicle, La Gaulais, Collier’s Weeklyの記者

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続く 。 (Y.O.)

 

報道写真につきましては、

JOHN G. MORRIS COLLECTION

Photojournalism & Photojournalists

伝説の写真誌編集者 ジョン・G・モリス旧蔵

“報道写真・報道写真家”コレクショ

英書(500点)及びヨーロッパ書〔独仏伊他〕(110点)計610点

ご高覧願います。

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